「ストレス」という言葉はどうしてできたの?

ラット

現代のストレス(stress)の考え方をはじめて唱えたのは,ハンガリー系カナダ人のハンス・セリエ(H.Selye)という生理医学者だということを昨年8月に紹介しましたが,深堀しましょう。

20世紀初頭。

例えば胃潰瘍なら“みぞおちの痛み”,脳卒中なら“特定部位のマヒ”など,病気には特有な症候がありますが,多くの病気に共通しているもののはっきりした原因のわからない症候群(例えば,胃腸障害,食欲不振,関節の鈍痛,体重の減少,発熱,皮膚炎,舌苔など)には関心が向けられていませんでした。

今では医師から「ストレスですね」と言われるような症候群ですが,当時は,病気の識別とそれに対する特効薬の発見に全力をあげるべきであるという考えが強く,こうした症候群では識別できないので,「役に立たない!」と切り捨てられていたそうです。

「最近,食欲がないのですが・・・」

「その症状では役に立ちません。何の病気かわかるもっと優秀な症状はありませんか?」

といった感じでしょうか。

セリエ博士は,こうした考え方に対して異を唱え,すべての病気に共通した病気の一般的症候群を取り扱う必要があると考えるようになりました。

1935年,セリエ博士は妊娠時の神経分泌の問題を研究する中で,感染や栄養不良,情緒の不安定さなど,身体の外部から受ける影響が変調を引き起こすことを明らかにしたのです。

そして,外界から受ける影響を「非特異的ストレス(stress:圧力,応力,緊張)」と呼び,ストレスのもとで脳が阻害され,ホルモンの分泌に影響し,変調を引き起こすのだと考えました。

これが「ストレス」という言葉を用いた始まりです。

セリエ博士は,舌苔,関節の鈍痛,食欲不振などの症候群がストレスによって分泌される特別なホルモンによるものと考え,新しいホルモンを発見しようとラットを使った実験に意気揚々取り組んでいたそうです。

しかし,何度実験しても上手くいきません。

ある時,細胞組織の特徴的な変化が観察され「ついにやった!」と喜んだのもつかの間,原因は実験するために使用する抽出液によるものだとわかり相当ショックを受けたようです。

実験するためにどうしても使用しなければならない外部の影響ならば実験のやりようがありません。

セリエ博士は,大いなる不幸を味わい引きこもったそうです。

そこで失敗を振り返り,瞑想しているとある気づきがあったそうです。

それは,「病気を治すためにはラットに投与していた様々な毒物によってあらわれていた実験上の変化と,外界からの刺激によって人間にあらわれる症候群と同じ価値がある,と捉えることの方がホルモンを見つけるよりも大切だ」という気づきです。

症候群を「全身適応症候群 G.A.S:General adaptation syndrome」と名づけ,こうした症候を引き起こす刺激を「ストレッサー」と呼び,ストレス学説を唱えました。

セリエ博士は,「私は,意識的に『ストレス』という言葉を用いませんでした。身体の反応に対してそれを用いることについて,あまりにも多くの批判があったからです」と述べています。

博士にとって使いたくても使えない不便な言葉だったのかもしれませんね。

H.Selye 1997 生命とストレス 細谷東一郎 訳 工作舎