日本ストレスマネジメント学会 久留米大会研修会より
依存症をご存じですか?
依存症と聞いてどんな連想をしますか? また,あなたは何かに依存していることはありますか?
依存症を理解する上で3つの依存という見方があります。3つとは,物質,行為,関係です。
アルコール依存とか薬物依存といった物質への依存は良く知られています。私は毎日ドリップしたコーヒーが欠かせません。もしかするとカフェイン依存症かもしれません。
ゲームや賭け事,買い物など,何かをするという行為への依存,プロセスへの依存というものもあります。スマホを手放せないというのは行為への依存です。
人間関係での依存もあります。「親切にすると依存してくるから気をつけないと」というようなことがありますし,マインドコントロールも関係依存と言えます。親子関係で生じやすい「共依存」という考えもあります。
大分大学の岩野卓先生は,臨床心理士で認知行動療法による依存症の研究や支援を行っているプロフェッショナルです。
過日,久留米大学で開催された日本ストレスマネジメント学会久留米大会で岩野先生による「依存症とストレスマネジメント」という研修を受講しました。
岩野先生は「わかっちゃいるけど止められない」依存についてわかりやすく説明してくださり,依存から抜け出す方法についても様々な視座をお教えいただきました。
岩野先生 「わかっちゃいるけど止められない。このフレーズで何を思い出しますか?」
もちろん昭和生まれの私は,植木等の「スーダラ節」を思い出します。すると岩野先生は,「スーダラ節」は,1番がアルコールをモチーフにした物質依存,2番が競馬によるプロセス依存,3番が恋愛への関係依存を歌っているとお話されました。
「なるほどー」。このことを知って改めてスーダラ節を聴くと「勉強になる高尚な歌だ」と思えてきます。
ところで依存は,「意志が弱いからやめられないのだ」と考える人も多く,依存症の方々はそうしたまなざしに苦しめられています。
依存への理解は,依存症の方の回復にとってもとても大切です。
岩野先生は「依存の中核に苦しみがある」と言っています。そして,動物には苦しみから逃れるために何かに依存するというメカニズムがある,ともおっしゃっていました。
「依存の中核にある苦しみ」。言い換えればストレスです。
ストレスとなる出来事(ストレッサー)と,ストレッサーによる心身のストレス反応としての苦しみが生じる。その苦しみから逃れるための対処としての依存というわけです。
著名なスポーツ選手の薬物依存問題に象徴されるように,輝いている自分を維持させなければならないプレッシャーによるストレスや,現実の自分と本来の自分とのズレによる苦しみへの対処として,薬物に依存してしまうようなエピソードは分かりやすいかもしれません。
依存症について書きはじめると,私はたくさんの関心事が湧いてきます。
自分のコーヒー依存は依存症と言われるような病理的なものだろうか?
依存から抜け出すとは依存しなくなるということなのだろうか?
依存しなくなることが健康なのだろうか?
「わかっちゃいないないし,やめられない」依存を忘れてはならない…,などなど。
私は,誰でも何かに依存しており何かのきっかけで依存症になる可能性があると思っています。また,健康的な依存もあると思っています。さらに,依存はその人のがその人らしく生きる上でとても重要なテーマであるとも考えています。そして,自分の依存の意味を考えるために心理カウンセリングが大いに役立つものと実感しています。
さて,とりあえず今回はここまで。また次回に書いてみようと思います。