吐き出して楽になる? 心理カウンセリングの誤解

今日はストレスマネジメントの日

毎月11日に東日本大震災後の被災地での心のケアを中心に,ストレスケアの実際についてお伝えする特集です。

子どもがよちよち歩きを始め庭先を危なっかしそうに歩いている。

それを見ている親は心配で仕方がありません。

「転んで頭でも打ったらどうしよう・・・。あそこに石ころがあってつまずくかもしれない」と不安になるのは自然なことです。

この時,親は子どもの成長のために自分の不安に耐えなければなりません。

子どもは転びながら大きくなっていくのですから,つまずかないように石をどけてしまっては成長の機会を奪うことになってしまいます。

しかし,つい石をどけてしまう大人もいます。

それは自分の不安を心に収めておけないからなのかもしれません。

怒りも同じです。

怒りが自分の心の中に収まらず,誰かを傷つけることがあります。

「誰か」というのは他人だけではありません。自分自身を傷つける場合も少なくありません。

怒りを感じることは悪いことではありませんし,怒りが自分の心に収まっていれば怒りで誰かを傷つけることなく,やがて怒りが困難を乗りこえる力に変容していくのだと心理学では考えるのです。

とはいえ,東日本大震災や戦争など信じられないような出来事の体験に伴った深い悲しみや,強い怒り,無力感や混乱は,なかなか心に収まるものではありません。

そのような場合の心のケアや心理カウンセリングにはどのような意味があるのでしょう?

心理カウンセラーは,表現とその受け止めの体験を大切にしています。

話しをしたり,絵を書いたり,遊んだり,身体活動など自分の表現を他者に受け止めてもらう体験を通して,心に収まっていくものだと考えています。

例えば,被災地の子どもに見られた「津波ごっこ」は,怖かった体験を遊びという表現方法で心に収める大切なプロセスだと考えるのです。

時に心理カウンセリングを「吐き出させてスッキリさせる機会」だと考えている人もいます。

しかし,消化できず溜まっているような感情を吐き出せば楽になるというものではありません。

コロナ禍が収まってきた師走。

以前に比べて忘年会などで街がにぎわってきていますが,喩えればこうした心理カウンセリングは,飲み過ぎて具合が悪くなってどうしようもなくなりその場で吐いて周りを汚してしまっていた,という体験に似ています。

私も若い頃,何度も失敗していますが,思い出したくもないトラウマ体験です

吐き出して楽になる?

それは,吐きたい時に,吐いても大丈夫な安全な場所や吐いたものがちゃんと収まる器と「大丈夫だよ」と背中をさすってもらえるような存在があるということです。

日常の中で感じる不安や悲しみ,怒りはたいてい自然に収まっていくものですが,体験によってはその時に収まらずに何年も経ってから湧きだしてしまうこともあるでしょう。

それがいつであろうとも,自分の表現が受け止められ,心に収め本来の自分らしさが発揮できるようになっていく。そのプロセスを支える場所や器としてのカウンセリングルームや心理カウンセラー。

そんな存在でありたいと思っています。

☞ 問い合わせる