ただ一緒に見るだけで…

里山マインドのストレスマネジメント8

恋に落ちた二人が一緒に明けの明星を見ています。

女性 「ねえ,あの星にも私たちのような二人がいるのかしら…」

男性 「いや,輝いている星はみんな太陽みたいな星だから生きものなんていないさ…」

女性 「まあ素敵! なんて科学的な心を持った人なの…」

今回は一緒に見ることについて書いてみようと思います。

みなさんは誰かと何かを一緒に見る機会はありますか?

一緒に見るという行為は,共感性を発達させると学んだとことがあります。

一緒に見る時,単にそれぞれが見ている対象へ心を向けているわけではなく,自分がそれを見ている心と,相手もそれを見ているという自分の心と,自分がそれを見ていることを相手が見ているという自分の心と・・・,多くの角度からの心が無意識的に働いている。そして,その心の働きは身体の反応を伴った全人的な体験だというのです。

相撲で考えてみましょう。

秋場所,玉鷲関の優勝は見事でしたね。TVで相撲を見ますが,子どもの頃は祖父と一緒によく見たものでした。今でも覚えているのが輪島と増位山の取組。土俵際,輪島が増位山をつり出そうとして腰を落とし,それに耐える増位山。腰が浮き今度は増位山が輪島に外掛けをする。その様子をTVで観ながら,自分も同じように足を踏んばり,肩に力を入れ,まさに力の入る一番でした。勝敗が決まった時,祖父と二人一緒に「すごい一番だったねー」と,まるで相撲を一番とったかのようにフ~っと息が切れるのです。

おそらく一緒に見ていた祖父も同じように心身に力を入れていたのでしょう。

一緒に見るという体験には,こうした全身的な共感性の体験が含まれていて,特に乳幼児期が養育者と一緒に見るという体験は,その後の成長に大きく影響するのです。

現代は,一人ひとりがスマホを持ち,日常生活の中で家族や誰かと何かを一緒に見るという機会が少なくなってきています。

コロナ禍になり,それまでしなかったTVゲームやボードゲームを家族で一緒にすることが流行ったそうですが,コロナ禍が明けてもあえて家族や誰かと一緒に何かを見たり,楽しんだりする機会を作ってみることも良いのではないでしょうか。

特に,一緒に見て笑う機会を大切にしたい。

昔,家族みんなで「ドリフ」を見て笑いあったように,日々の生活で何かを一緒に見て笑う機会です。そんな機会はありますか?

SNSの普及によって,一人で何かを見て笑う機会の方がますます増えてきている現代ですが,共感性のない笑いは嘲笑を助長するかもしれません。コメディやお笑い,落語などを見て,あるいは遊びを通して一緒に腹を抱えて楽しく笑う機会は失いたくありません。

ヒトラーが手に入れられなかったものはユーモアだと聞いたことがあります。そのヒトラーの行為を笑いに変えたチャップリン。ウクライナ問題において、プーチン大統領と,コメディアンだったゼレンスキー大統領との関係を連想し,一日も早く世界が共感的な笑いで溢れる日々になって欲しいと願います。

冒頭の二人。きっと太陽のように輝く星を一緒に見て共感しあい燃え上がるのでしょう。