彼岸花マインドで荒らされる子どもの心を考える

里山マインドのストレスマネジメント8

今年も庭に白い彼岸花が咲きました。

彼岸花は里山の田んぼや畑のあぜ道,お墓で目にしますが,これはネズミやモグラなどによって土の中が荒らされないように,球根に毒のある彼岸花が植えられたそうです。

このことから思いをめぐらし,心が荒らされる子どもの育つ環境について書いてみようと思います。

彼岸。向こう岸やあの世,悟りの世界を意味する言葉です。彼岸に対して此岸(しがん)がこちら側。この世や現実世界のことを意味する言葉ですね。

ところで,悟りを開いた彼岸にいる人は自分のいる場所を彼岸というのでしょうか? こちら側だから此岸というのでしょうか? また,彼岸にいる人から見れば悟りを開いていない私のいる場所は向こう側ですが,彼岸にいる人は向こう側を何というのでしょう? 彼岸とは言えないし,此岸でもない・・・?  禅問答のようですね。

心理学では「認知」に関するテーマです。

私達は,相手に向けている自分の考えや気持ちを認知することができます。また,相手が自分に向けている考えや気持ちを想像することもできます。この時,自分が相手に向けている認知と,自分が相手からどう思われているかという認知を混乱しないでいられるのは,自分と相手の認知を分けて考えることができるからです。自分と相手を分けることができるというのは,確かな自分があるということです。心理学の言葉を使えば自我が確立しているというのでしょう。

自分が相手に向けている認知と,自分が相手からどう思われていると想像しているかの認知をしっかり分けて捉えることができるのは,自我の確立した大人の認知ということもできます。

自我が確立されていない子どもに思いを向けてみましょう。例えばこんなことが起きるかもしれません。

夫婦ケンカが絶えず,いわゆる毒親のもとで暮らす子どもがいた。ケンカの様子を「見たくない」と目をつぶり,「悪いことなんだ,恥ずかしいことなんだ」 というようなまだ言葉にもできない考えや気持ちをいつも両親に向けていた。しかし,相手に向ける認知と相手から向けられる認知の区別がしっかりできないので,自分が向けていた考えや気持ちは,相手から向けられている考えや気持ちであると誤認してしまい,やがて成長に伴い「人から見られたくない」,「自分は良くないんだ,恥ずかしい存在なんだ」という自我が確立されていった。

心理カウンセリングでは,自分を認められず,自分を恥ずかしい存在だと悩む方によく出会いますが,こうした悩みを持つ方の子どもの頃のお話を聞くと,本来,毒親に向けるべき感情を自分に向けて苦しんでいるように感じられてなりません。

私は,彼岸花の球根に毒があることは知っていましたが,暮らしが荒らされないようにその毒を利用していたことは知りませんでした。里山で暮らしていた先人達の智恵なのでしょう。

同じように,多くの人々は養育環境が子どもの育ちに強く影響することを知っていますが,さらに心の毒や悪影響のしくみを知ることで心が荒らされにくくなるのではないでしょうか。

「彼岸花マインド」とでも名付けましょうか。