これは私の体験です。2年前,困ったことや不安を口にできず一人悶々と社会から取り残されたような孤独感と,自分には何の価値もないのではないかという無能感に襲われた時期がありました。
日中は苦痛で日が暮れると少し楽になりホッと一杯。二杯,三杯…。苦痛をお酒で癒そうとしていた時期でした。
困っているにもかかわらず本音が言えない孤立感と何も解決しない現状への無力感が高まり,強い苦しみのストレスが生じます。
そして,その苦しさから逃れるための依拠(よりどころ)として,アルコールや薬物,賭け事などに依存してしまう。あるいは孤立感と無能感を回避するために,困っている他の誰かとの関係の中で「自分はその人から必要とされているのだ」と錯覚できるような何らかの行為に依存することもあるでしょう。
こうしたことは誰にでも起こり得ることだと思っています。
2年前,私に家族や心理カウンセラーの存在がなく本音を聞いてもらえなければ間違いなく依存症になっていたでしょう。
口にできない本音はありますか?
「本当は困っているのに,なんて言われるかわからないから話すことができない・・・」
「本当はしたくないのに,期待されているからしかたなくやっている・・・」
「本当は嫌なのに,嫌われてしまうかもしれないから言いなりになっている・・・」
「本当はできないのに,恥ずかしいから言えない・・・」
「本当は知りたいのに,怖くて聞けない・・・」
自分の本音を意識できていればまだ良いのですが,無意識のままのことが多いから厄介です。
本音を言える関係は依存を考える上で重要です。
本音を言える関係と言えば,確かに惹かれますし大切な人間関係なのでしょう。
でも「言うは易く行い難し」。自分の本音をつまびらかに言える関係は,なかなか得られるものではないと私には思えます。
ところで,困った時に自分で何とかしようとする心と,誰かに頼ろうとする心と,どちらが自立した心だと思いますか?
「早く自分でできるように自立したい」と思ったことは誰でもあるでしょうし,自分でできることが増えていき少々困難なことなら何とか一人で頑張って乗り越えようとする心は自立していると言えるのでしょう。
しかし,本音では困っているにもかかわらず,自分で何とかしようとする自立心は未成熟な万能感によるものなのかもしれません。
万能感とは自分で世界をコントロールできると錯覚してしまっているという点で成熟した心とは言えません。
しかし,未成熟だからと言って必要ないというわけではなく,乳幼児期の子どもにとっては,この万能感を充分に味わうことができる体験が大切です。万能感を充分体験することができてはじめて,自分の思い通りにならない世界を受入れることができるように成長するのだ,と精神分析では考えます。
もし,乳幼児期のこうした体験が不十分で錯覚した万能感の破片があちこちに残っていると,大人になったときにたとえ自分が困っていたとしても「自分で何とかする(できる)」という万能感に基づく自立心によって,誰にも相談もせず孤立し,何ともならなくても我慢し,無能感ばかりが高まっていく。
2年前の私のように,その苦しみを回避しようとして何かに依存していくのでしょう。
世界が自分の思い通りになるという万能感には,自分のことだけでなく他者も自分の思い通りになるという錯覚も含まれています。ですから「自分一人で何とかしよう」という考えを強く持っている人は,「あなたも私の思い通りにしよう」という心がセットになっているかもしれません。
「俺は困っている。でも俺には自分で何とかする能力はない。だから力を貸してくれる人に相談しよう」という心には,思い通りにならない現実世界を受け入れられている成熟さがあり,世界には自分を支えてくれる存在があるのだという信頼感もある。だから依存症にはならずにいられるのだと思います。
本音を言える関係を大切にしようという心の醸成には,社会の在り方や世間体を気にするような文化の影響も大きいことも忘れてはなりません。
困った時に本音を相談しやすい日常にしたいですね。