NHKで放映されている『チ。―地球の運動について―』は社会構成主義者の物語です。
地球が「世界の底」という天動説を信じる世界に生きる人々にとって,地球が公転と自転という運動をしているという仮説は,まさに天地逆になるほど奇想天外な論説でしょう。
地動説を信じる登場人物たちは,「地球を動かせ」と共通の意思を象徴する言葉で世界の常識に抗うのです。
常識を疑うこと
なぜ常識を疑う必要があるのか?
あなたは常識を疑う必要があると思いますか?
私は必要があると思っています。
なぜなら,その“常識”なるものが,間違っている,あるいは,より良い常識に置き換わった方が良いという可能性が常にあるからです。
社会構成主義から考えれば,常識というものは,私達の社会が作り出した“設定”です。
設定ならば,私達がより良い社会にしたいと望むならば,変えられるものなのです。
「望めば何でもそう思って良いのか?」問題
社会構成主義批判にこんなものがあるようです。
「常識が人間社会の作り出した設定であるなら,『人類は100mを8秒を切って走れる』と言えばそうなるのか」という類のものです。
答えは「そんなことはない」です。
社会構成主義では,私達の思考は「文化・歴史・社会的に拘束されている」と考えます。そこから逸脱した言説は構成されることはない,というわけです。
つまり,社会的な醸成があった初めて新たな“常識”は作られる,ということになります。
常識を覆す合理的思考
私達の思考は「文化・歴史・社会的に拘束されている」と言いました。
現代社会で最も強力な拘束の一つは,科学に基づく合理的思考です。
5gの鉄の重りと500gの鉄の重りを左右の手に持ち,同時に自由落下させたとしましょう。どちらが早く落ちるのか…という命題は,理科の授業を覚えている方には常識ですが,私の記憶では,かつてこの命題を,実際にやってみて確かめようと思い立ち,実行した人がいました。
そうです。ガリレオ・ガリレイです。
この試みは当時,「神への冒涜」と言われたようです。
理由は「重い方が早く落下するに決まっている。それは神が定めた真理だ。それを確かめようとは…」ということのようです。
実際のところは…言うまでもないですね。
私は,このガリレイの姿勢の方を支持します。
“常識じゃん”に留まることなく,実際にやってみる。実際に観察してみる。その結果の方を信じ,そこから判断する。これが合理的思考です。
そう考えれば,実は合理的思考は,既存の不合理な“常識”を覆す,強力な武器なのかも知れません。
私も,より良い“常識”を創造するため,合理的思考を頼りにしていきたいと思います。
文:今村亨(イマムラトオル)
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