「保幼小中連携セミナー」 山梨市民会館にて
山梨県の山梨市,笛吹市,甲州市は甲府盆地の東部に位置し,峡東地域と呼ばれています。秩父,御坂山系の美しい山並みと富士を望み,笛吹川の清流と盆地や扇状地の特有な気候や地形を利用して,桃やブドウ,カキなどの果樹栽培が盛んで,「日本農業遺産」にも認定された個性あふれる地域です。
8月23日(火) 「鐡道王」で有名な根津嘉一郎翁の像がある万力公園内,山梨市民会館で峡東地域教育推進連絡協議会「峡東地域保養小中連携セミナー」がありました。
家庭,保育園幼稚園,小中学校,高校での子どもの心の課題や「小一プロブレム,中一ギャップ,高一クライシス」といわれるような節目(移行期)の問題について講演しました。
タイトルは,「発達段階に応じた俺たちへの接し方 ~クソガキ問のすゝめ~」。もちろんタイトルは福沢諭吉「学問のすゝめ」のパロディです。
子どもの問題や接し方を大人や先生の視点で考えることが一般的です。しかし,子どもの側に立ち,あくまで子どもの理屈で日常的な遊びや悪事の中にある発達体験を捉えてみようという話を聞く機会はあまりありません。
心理学によれば,2歳になる頃には自律性が育ち始め,生理現象や感情をコントロールし,自分で色々やろうする意思を持つそうです。でも上手くできずに失敗もします。ですから,ちょうど「しつけ」を受ける時期でもあります。この時,失敗するたびに叱られて恥の感覚や疑いの気持ちばかり感じてしまう体験が強ければ,その後,何かに挑戦しようという意思を持ちにくくなると言われています。そこから「失敗しても怒らないようにしましょう」という大人の対応が求められます。
一方,移行期においては,「どちらでもあり,どちらでもなく,どっちと決める必要のないあいだの体験」が必要だという考え方があります。
例えば,意思を獲得する時期と言われる段階の子どもにとっては,何かしようという自分の行動において,成功したいとか失敗しないようにしようとか,そういう理屈や意思などありません。子どもは意のままの行動し,成功とか失敗とか決められる必要もないあいだの体験を積むことを通して意思が育まれるというわけです。
「あいだの体験」は,里(自我)と深山(深層心理)のあいだである里山マインドの発達に通じています。
「福翁自伝」を読むと,福沢諭吉は,子どもの頃にバチがあたることに興味を持ち,稲荷様の木の札のご神体を捨てて,替りに自分で適当な字を書いた木の板を飾ったことがあるようなクソガキだったようですね。
「クソガキ問のすゝめ」の講演会は,そうした子どもならではの体験を子どもの立ち位置から表現してみようと試み,エッセイ風にまとめたものを紹介しながら,私たち大人がどのように接することで健康的な心が育っていくのかについてお話させていただきました。
大人の理屈とは一味も二味も違って,ユーモラスでもあり許しがたくもあり,「まったくなあ…」と何とも言い表せない思いが湧きつつも,子どもの活動に豊かさを感じていただければと願い講演しました。
関心がありましたら是非お声かけください。